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瀬川 昌昭
Masaaki Segawa

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ごあいさつ

少し長くなりますが私たち兄弟のことをお話したいと思います。

振り返ってみると私は二人の兄の背を見て生い立ち、そして人生を過ごしてきたような気がします。
少年時代まで私たち兄弟は両親の愛情に育まれ、環境と情報を殆ど共有して育ちました。
その3人が別の道を歩み始めたのは第二次世界大戦が契機でした。
私たちに戦前派にとっては戦争は大東亜戦争とよばれていました。
長兄の昌久は幹部候補生を志願して海軍経理学校に 入学、次兄の昌治はやはり幹部候補生として徴兵され、陸軍の、今で言えば特殊部隊人間魚雷の搭乗要員の訓練部隊に身を投じました。

年齢が1才徴兵に届かなかった末弟は旧制高校1年生で、勤労動員という名のもとに兵器工場に派遣されました。
海軍、陸軍、学徒勤労隊とそれぞれ違う世界を見ることになります。
当時の若者にとって出征することは再び生きて会えないと覚悟することでした。出征する兄たちとの別れ際に「もし空襲で家が燃えたら何を持ち出すか?」遺言を訊くつもりで尋ねたことを思い出します。

昌久は「レコード」と答え、昌治は「本」と言いました。
レコードは兄が戦時中に東京神田の古レコード屋を廻って集めていた内外のジャズのSP盤、昌治の「本」は太宰治や田中英光が多かったと記憶しています。
私たちの家は昭和20年7月、最後の東京大空襲で延焼しました。家を守っていた私は庭に掘った防空壕に「レコード」と「本」を運びましたが、お宝の大部分は灰と化してしまいました。

命ながらえて終戦後間もなく再会の日を迎えた3兄弟はその後三人三様の道を歩き始めます。
昌久は法学部で庭球部、昌治は文学部で野球部、私は経済学部で陸上競技部でした。
仕事も銀行員、映画監督、テレビディレクターとサイクルが全く違いました。
時は夢のように過ぎ、そろって21世紀を迎えることになった次第です。
少年時代から夢だったジャズ専門家を達成した昌久は、今でも夜11時に帰宅、ジャズをきき、原稿を書いて午前2〜3時就寝、10時前後起床すると慌しく朝食をとって外出します。 「3人でめし食おうよ」というと手帳を開いて、「今月は空いてないな、来月の20日ごろどうだ」と言うような始末です。監督の兄も留守勝ちです。
問い合わせると「今週はシナリオでカンヅメなのよ」と兄嫁が教えてくれるという具合です。

70の声を聞いた頃から、私は自身「老い」を感じるようになりました。体に色々な不具合が生じます。こころにも老いを感じます。
「昔ならこんな仕事は半日で片付けられたことなのに」頭が廻らない、動作が遅いもどかしさをたびたび自覚しては年を思うようになりました。
でも3才、4才年上の兄たちは殆ど老いを感じていないように見えます。それなら俺もあと3年、4年は大丈夫かなと気を取り直します。

そんなときふと思いつきました。
高齢化社会、60才以上の人口が4人に1人になった日本で、同じシニア又は高齢者の同世代の仲間たちは加齢をどう捉えているのだろう。もし残る人生をその人たちと共有できたらそれは素晴らしい人生のフィナーレとなるのではないか?

兄たちも賛同してくれました。
私たちは大したことはできません。できることは我々が一生で蓄積してきた事々を語り伝えることぐらいでしょう。
高齢者にはかぎりません。人生を語り伝えたいと言う思いを持つ方に1人でも多くここに来て語っていただければ幸いです。

私はこの「イーライフストリート」のデジタル広場で言いたい、話したいと思うことを記録して行きたいと考えています。
また自分の経験やアドバイスで皆さんの悩みやストレスが解決できらなお素晴らしいと思います。
老いてもなお、志を持ち続けたいと願う方々はぜひストリートを散歩して下さるよう願っております。


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