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生きること・学ぶこと
文:吉田公平

第三十四回

「議会と意見」


対話に近い言葉に講会がある。今風に言えば、講会とは対話集会とでも言えようか。

中国の明代、十六世紀頃に盛んに催された。その対話集会の記録が「会語」として残されている。この講会で対話のあり方を象徴するのが、そこで問題になった「意見」論争であった。我々が会議を開いたりするときに、例えば議長が「皆さんご意見はありませんか」などと参会者に発言を促すときにいう、あの「意見」と同じ意味である。

初出の例を知らないが、おそらく仏教の世界で「邪見・正見」が論議されたそのなかで用いられたのが速い用例であろう。

その「意見」論が博い広場で論議されるようになったのは、中国の南宋の時代に烈しい論争をした朱子と陸象山の会見が契機となった。

朱子よりも九歳若かった陸象山が、朱子と議論した際に、陸象山から烈しく論難されながらも少しも考え直そうとしない朱子を「意見の人」と決め付けている。

そもそも意見とはその広場にいる人と審議検討して修正されることを前提にしている。「ご意見はありませんか」といおう議長の提言は、出された意見をそのまま承認することを意味しない。あくまでも審議検討の素材である。正しいと承認されることもあるが、修正されることもあり、不適切な提案として却下されることもある。

一人の意見に過ぎない者を絶対に正しいと思いこんで他者の批判を拒否して自説に立てこもる人を「意見の人」という。

もし、自分の意見が正しいということが絶対化されると、そこには対話は成立しない。しかし、正しい意見を共有する人たちが党派を作って自らの理想を実現しようとすると、会議の場では他党勢力と論議をするものの、妥協はしても、自らの意見を修正すると言うよりは、結論を出すために数の論理を用いることになる。国会審議が対話の場としては空疎な空間になるのは、行政執行を待たれる政治の世界の故でもあろう。

我々は、丸ごとが政治がらみの生活をしているわけではない。ここの人生の場面では、他者と共に幸福であろうとするなら、意見の人になることは避けなければならない。さもないと、共に生きる友、人生の同伴者を取り逃がすことになる。



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