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生きること・学ぶこと

文:吉田公平

第三回

「学問とは学び問うことなり」


わたしの学問に対する基本的な態度について、あらかじめ説明しておきます。今は「考えること」を哲学とか思想と表現します。哲学と言う言葉は、西周(にし あまね)がフィロソフィーを訳したものです。思想という言葉の語源は、漢民族の言語です。

因に中国語という言語はありません。漢語のことを日本では中国語と俗称しています。思想は相思と同じで思い思われることです。それを「哲学思想」などと一般的に使うようになったのは、近代のことです。

哲学・思想のことを、中国では「学」「学問」といっていました。この違いは興味深いものがあります。『論語』の「学んで時にこれを習う」という表現が端的に示すように中国では学んだことが生活の中で生かされることが要請されていることです。単なる知識に止まるのではありません。『孟子』の「学問の道は他無し。放心を求めるのみ」(学問の仕方とは、見失っている人間の本来性を回復することだ)という表現が典型なのですが、ここでも学問が生き方に直接するものとして理解されていることです。知識のための知識を目指していません。このような学問観が持つ功罪については、いずれテーマとして取り上げたいと思いますが、今はこのことを確認しておきたいと思います。
もう一つは、「学問」とは文字通り「学びて問う」ことだということです。「問うことを学ぶ」と解釈することもできます。しかし、どちらに読んでも、究極の意味は変わりません。

「学ぶ」とは正解を得ることではなく、問う力を身につけるということです。学んで問うのだ、或いは問う力をつけるために学ぶのだという、この「学問」観が、わたしは大好きです。ちゃんと問うことができるということは、問題の所在が分かっているということ、どのように対処するのがより良いのかがすでに分かっていることです。具体的な処方箋はすぐには描けないかもしれませんが方向性は見えています。そしてその都度試みて、そこから新たに学んでより深い問いを重ねる、「学問」とはそういうことなのかということに気がついた時、開放感と感激を覚えたことを、今でも覚えています。あるはずのない「正解」を求めることの愚かさからわたしを救い出してくれたのが、この「学問」という言葉でした。






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